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イタリア旅行マニア(Italia Mani@ravel)

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イタリア旅行マニアのイタリア旅行記。 ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、それだけがイタリアではありません。

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プロフィール

Author:らふぁえろ
イタリア渡航暦
1999年12月
2000年春、冬
2003年冬
2004年春、冬
2006年は9月27?12月25日

イタリア各地を旅をして、街歩きを楽しみ、
絵画・彫刻を鑑賞していたら、
教会オタク(?)のようになってきました


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アクア・アルタ(Acqua Alta)って何?
Acqua:水
Alto/a:高い

簡単に言えば高潮なんですが、アフリカから吹く熱風シロッコと低気圧が重なると起こる現象です。
アクア・アルタが起こる時期は秋(10月頃)?春(4月頃)。


で、私はアクア・アルタに遭ったことあるのかって?
幸か不幸か、ありません。(^^;)
出会えば、おいしいネタなんですけどね。

ヴェネツィアは元々ラグーナ(Laguna:砂州で外海と分離された湖)に作られた街です。
5世紀にこの地に移り住んだ人々が湿地の上に木の杭を打ち込み、その上に石造りの街を築いたのです。


アクア・アルタの原因

地下水の汲み上げによる地盤沈下。
杭の沈降。
地球温暖化による海水面の上昇。


といくつもの要因が絡み合って、かつては数年に1回だった
アクア・アルタが、年数回起こるようになったのです。
ロマンティックな雰囲気のヴェネツィアですが、住むにはそれなりの苦労もあるようです。
(ヴェネツィアの先生はカビが生えるって言ってました。)

特に海抜の低いサン・マルコ広場は冠水しやすい場所。
そんな時にサン・マルコ広場に登場するのが遊歩道、この上を通れば濡れなくて済みます。


アクア・アルタ1

アクア・アルタ2

アクア・アルタになったサン・マルコ広場(写真はWikiより)



サン・マルコ寺院

遊歩道の写真。
この時1999年12月末ですが、僅かに広場は湿っていたように思います。
雨か、アクア・アルタの後かは分かりませんが海水面は高かったようなのでアクア・アルタの後に訪れたんだと思います。


ちょっと話は変わりますが、
水上に浮かんでいると聞いて思いつくのは、滋賀の人間なら浮御堂(うきみどう)。臨済宗の禅寺で、海門山満月寺が正式名称。

ここも行ったこと無かったりします。(車から眺めるだけ。)


浮御堂に関する昔話

むかしむかし、草津の1軒の宿に
「おいさ」という美しい娘がいました。
ある日、比叡山(ひえいざん)で修行中の若い僧が托鉢(たくはつ)に訪れました。
若い僧も、おいさも一目見てお互いが好きになりました。

その日の宿を世話になった僧でしたが、
あっという間に数ヶ月がすぎてしまいした。
楽しい日々に時の経つのを忘れていた若い僧でしたが、
修行中の身、いつまでもこうしているわけにもいきません。

名残惜しみながらも、若い僧は修行に戻ることにしました。
しかし、別れに際し「おいさ」があまりにも悲しがるので、

若い僧はこう言いました。
「私は堅田(かたた)の浮御堂(うきみどう)で修行をしています。
もし、百日毎晩通うことができたなら、あなたと夫婦になりましょう。」
と。

「おいさ」は、その言葉を信じ毎晩盥(たらい)の船に乗り
琵琶湖を渡って若い僧に会いに行きました。
雨の日も、風の日も、身も凍る雪の日も。

そして、とうとう九十九日「おいさ」は浮御堂へ通ったのです。

若い僧は、「いおさ」が途中で諦めるだろうと思っていたのです。
もし、「おいさ」が百日通ってきたなら、「おいさ」を嫁にしなければなりません。
若い僧は悩みました。
僧職の身での婚姻は硬く禁じられていたからです。

そして、百日目の夜。
若い僧は浮御堂の灯明をふっと吹消したのです。

そんなこととは露知らず、盥の船でやってきた「おいさ」には
途端に浮御堂の火が見えなくなったのです。
目標を見失い、真っ暗な琵琶湖の上で、右も左も分かりません。
それでも、「おいさ」は一生懸命盥の舟を漕ぎました。
願いが叶うと信じて。

ところが、折からの突風に煽られ盥の船は
木の葉のように揺す振られ転覆してしまったのです。

可愛そうに「おいさ」は冷たい琵琶湖に投げ出されてしまいました。
そして自分の思いが叶わぬこと、裏切られたことを思い、
水底へと消えたのでした。

琵琶湖にはイサダ(イサザ)という魚がおりますが、
これが「おいさ」の化身だと言われています。

こんな話を子供の頃、祖父から聞いた記憶があります。
(幻灯で見たんだったか、図書館で読んだんだったかかも知れません。)

イサダ

イサダの写真
琵琶湖の固有主ですが、外来種のブラックバスやブルーギルに
随分と生存が脅かされています。


アクア・アルタも生態系の破壊も人間が招いたものなので
人間で何とかしましょうねと思うのでした。

気付けば、ヴェネツィアのことより琵琶湖のことの方
が多くなってました。。。。


近江の昔話(スライドで面白いですよ)



参考情報

アクア・アルタの対策としてモーゼ計画(Progetto Moze)なる
案もあったのですが、環境への影響為中止されました。

モーゼ計画:ラグーナとアドリア海を結ぶ3箇所の水路に水門
を作って海水面上昇時に門を閉めるというもの。



毎年3月26日、天台系の行者たちが行う比良八講という行事がありますが、
比良山系の打見山で取水された法水を船上から琵琶湖にまき、
「おいさ」の供養と湖で遭難した人達の供養を目的としています。
この時期天気は荒れます。

ゴンドラ乗場

最後はヴェネツィアらしくVenezia Santa Lucia 駅向かいのゴンドラ前で。
(もちろん、乗ってません。記念撮影です。)

2006年10月18日 ヴェネツィア 4


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ここヴェネツィア(Venezia)に来てサン・マルコ広場(Piazza San Marco)を訪れない観光客はいないと思います。
ヴェネツィアで最も広い広場で、最も重要な場所でもあります。

私は、シエナのカンポ広場、アレッツォのグランデ広場と並び美しい広場だと思います。

ただ、いつも人一杯、鳩一杯で広場全体を見渡すことって難しいです。
人気の少ない広場の全貌を眺められるのは早朝くらいでしょうか。

サン・マルコ広場

サン・マルコ広場中央付近よりサン・マルコ寺院を撮影

右手に見える塔は高さが100mくらいあります。
有料ですがエレベーターなので、昇るのは楽です。
私は過去に昇ったことがあるので今回は昇りませんでしたが、高い所に昇る習性のある人にはお勧めの鐘楼(Campanile di San Marco)です。(笑)

また、サン・マルコ広場に面したカフェ・フローリアン (Caffe Florian)は1720年創業の老舗。
ヨーロッパ最古のカフェで優雅な一時を過ごすにはもってこいだと思います。その分料金はするのですけどね。

他にもオーケストラの生演奏をやってるカフェもあり、広場をフラフラ歩いてるだけでも雰囲気は楽しめるでしょう。

サン・マルコ広場を上から見た図

台形をしたサン・マルコ広場。(この図はWikiから引っ張ってきました。)
これを見ると分かり易いと思います。


1枚目の写真と図面の方向とほぼ同じです。(偶然の一致)


サン・マルコ広場2

海に面したもう一つの広場

サン・マルコを表す有翼のライオン像(左)
聖テオドーロの彫像(右)
昔はこの柱の間に死刑執行台が置かれていたので、ヴェネツィアの人はこの間を通らないんだとか。

私は気にせず通ってましたが、怨念は連れて帰ってないと信じます。(^^;)

Basilica di San Marco

サン・マルコ寺院

サン・マルコ寺院(Basilica di San Marco)
ヴェネツィアの守護聖人マルコを祀った教会です。
(828年、十字軍はエジプト、アレクサンドリアにあったマルコの聖遺物を持ち帰りました。)
ヴェネツィアこのパターン多いですね。

中は金色のモザイク画など印象に残っています。
今回は行列に並ぶのが嫌だったので、止めておきました。

ドゥカーレ宮

ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale)
共和国の総督邸兼政庁だった建造物です。

ここには未だ足を踏み入れたことがございません。
あんまり内部の写真が無いですがこちらに少々資料があるので参考にして下さい。

ほんと今回は美術館にはあまり入ってないヴェネツィアです。


2006年10月18日 ヴェネツィア 3


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最近話題のブートキャンプ。


ビリーズブートキャンプ

ビリーズブートキャンプ

イタリアから帰ってきた今現在、南イタリアで増えた分がなかなか減りません。(>_<)

土日、雨の日を除き毎日自転車で片道10キロは走ってるんですが、まだ効果無し。

体力はちょっと戻ってきたので、あんまり疲れなくなりました。
自力でビリーに勝ちたいです。(笑)
私の独断で選んだヴェネツィアの風景。
ゴンドラも風情はありますが、狭い通りと沢山かかった橋。
歩くのが好きな私には、こちらの方が魅力的に映ります。

ヴェネツィアの風景1

狭い橋。
人二人、がんばって3人通れるくらいです。

ヴェネツィアの風景2

スクランブル交差点ならぬ、スクランブル橋(?)です。
こんな橋あまり見かけないでしょう。

ヴェネツィアの風景3

このへんは自家用のボートでしょうね。
ヴェネツィアは車が通れませんから、生活の脚は水上交通。

ヴェネツィアの風景4

運河を走るバポレット

ヴェネツィアの風景5

細い通り。
ヴェネツィアに住んでいたら太れませんね。
ヴェネツィア・ダイエットって商品開発しましょうか。(笑)

ヴェネツィアの風景6

そして、ヴェネツィアの住人達はいつものように狭い道を歩くのでした。




2006年10月18日 ヴェネツィア 2


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ナチュラル・バランス・ダイエット
パドヴァからヴェネツィアへは電車で20分(インターシティー、ユーロスター等)?45分(鈍行電車)程度です。
私は、パドヴァで朝食を食べなかったので、ヴェネツィアの駅に着いたらバールで朝食代わりにトラメッジーノ(日本で言うサンドウィッチ)を食べました。
その後、タバッキでテレフォンカード(5ユーロ)を購入。

地図も大きなのは持ってなかったので駅の観光案内所に入りましたが、2.5ユーロしました。
普通は無料なんですけど、たまにお金の要るところがあります。
でも、この地図には別冊で小さな観光ガイドが付いていたのでまあ良いかなと思います。

そして、ちょっと大きな買い物ユーロナイト往復乗車券(ウィーン?ヴェネツィア・メストレ)140ユーロ(片道70ユーロ)を窓口で購入。
自動券売機では買えなかったので、仕方なく行列に並びました。
因みにヴェネツィア・メストレ(Venezia Mestre)駅というのはミラノやボローニャ方面から電車で来る時にヴェネツィア・サンタ・ルチア(Venezia Santa Lucia)駅の1つ手前にあります。
間違えて降りないようにしましょうね。
私は友人と初めてヴェネツィアに来た時、降りそうになりました。(ヴェネツィアの駅は2つ有るんですよ。)

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅

運河の向こう側から見たヴェネツィア・サンタ・ルチア駅

駅前のモニュメント

ヴェネツィア駅前のモニュメント。
アメリカ批判かな?と私は思いました。(これを撮ったのは2006年10月です。今も有るかは分かりません。)

ヴェネツィア駅のそば

駅を出てすぐそばから土産物屋が並んでるのがヴェネツィアですね。

ヴェネツィア

ヴェネツィア・サンタ・ルチア駅の近く

ヴェネツィアのゴンドラ

ヴェネツィアの名物ゴンドラですが、私は乗ったことございません。

ヴェポレット乗場

ヴェネツィア駅そばのバポレッと乗場
バポレットも乗ったことございません。

ヴェネツィア駅でこの日の用事はほぼ終わらせてしまった私は、久しぶりのヴェネツィアをフラフラ歩いて行きました。

すると、向こうから一人の男がやってきました。
首からは何やら証明書らしきものを提げています。
「今日の宿はとってあるのかい?」と英語で声かけられました。
「いや、まだだけど。」

「俺はアンドレア。うちのマンマがやってるホテルが有るから見に来ないか?」

アンドレアと名乗る男はホテルのパンフレットを私に見せました。

「うーーん。1泊いくら?」

「45ユーロだ。」

「カードは使える?」

「もちろん。」

怪しいなとは思いつつ、「騙されたらネタが出来るなー。」という計算の元、彼に付いて行くことにしました。(それでいいのか?(^^;))

案内された部屋は、パンフレットほど綺麗ではないものの、まあO.K範囲。
バス・トイレ共通、食事無し。
駅からゆっくり歩いて10分程度。
ヴェネツィアの物価を考えると安い方かなーと思い、ここにしました。
ヴェネツィアのホテル

ヴェネツィアのホテル2

ホテルの部屋

部屋に荷物を置いたら、もう一度ヴェネチア駅の近くからフラフラ歩いてみます。
まずは、駅のすぐ横にある教会、スカルツィ教会から。
スカルツィ教会

スカルツィ教会内部


そこからもう少し離れた場所、橋を渡らずリアルト橋方面に徒歩5分くらいの場所に広場がありますが、その広場に面したサン・ジェレミア教会。
サン・ジェレミア教会

サンタ・ルチア

サンタ・ルチア

この教会にはサンタ・ルチアが祀られています。
サンタ・ルチアはシラクーザ(シチリア)の出身の女性で、元はシラクーザで祀られていましたが、ヴェネツィアが運んできちゃたそうです。(ヴェネツィアが海洋国家として勢力が強かった時期だと思います。)
シラクーザの市民からは遺体の返還が要求されていますが、未だ戻っていないようです。

さて、サンタ・ルチアですが、紀元304年頃の殉教しました。
キリスト教徒が迫害を受けていた当時ですから拷問を受けて亡くなったのです。
彼女は乳房を切り取られた姿で描かれたり、盆に眼球を載せた人物として描かれたりしています。
伝説では、1000人の屈強な男達が動かそうとしても動かなかったとか、喉を切り裂かれても声を発したと言われています。

何れにしても痛い話ですね。(><)


気を取り直して、もうちょっとヴェネチアを歩いてみましょうね。


2006年10月18日 ヴェネツィア 1


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ヴェネツィアのホテル予約

1.
ヴェネツィアでホテルの客引き


駅の近くでアンドレアなる人物に宿の客引きを受ける。
怪しいとは思いつつ着いて行きましたが、一体どんなホテルなのか?

見所:スカルツィ教会、サン・ジェレミア教会

2006年10月18日


2.
ヴェネツィアの風景


私の独断で選んだヴェネツィアらしい風景。
観光スポットではないですが、現地に住む人達の生活の匂いを感じてもらえるかな?

2006年10月18日


3.
サンマルコ広場@ヴェネツィア


ヴェネツィア観光の中心地サン・マルコ広場。
常に人で溢れている賑やかな界隈です。

見所:サン・マルコ寺院 、ドゥカーレ宮殿、溜息の橋

2006年10月18日


4.
ヴェネツィア名物?アクア・アルタ


日本語にすると、高潮のこと。
地盤沈下、海水面の上昇と原因は1つではありませんが、
世界中の人が温暖化について少しは考え行動して欲しいなと思う現象です。

2006年10月18日


5.
ヴェネツィア名物ゴンドラ


ゴンドラ(Gondola)の正規料金、また短時間だけどゴンドラに乗った気分になれる
安価な交通し段トラゲット(Traghetto)のご案内

見所:スカルツィ橋(Ponte degli Scalzi)、リアルト橋(Ponte di Rialto)、アッカデミア橋(Ponte dell'Accademia)

2006年10月18日


6.
ヴェネツィアの高い昼食と


世界的に有名な観光地であるヴェネツィアは、物価が高いのです。
それだけが理由ではありませんが、放っておいても観光客が来る処というのは、
残念ながら高くて美味しくないものを売っていても商売は成り立ってしまうのです。
そんなヴェネツィアでの食事事情。

見所:ダルマータ・デッリ・サンティ・ジョルジョ・エ・トリフォン信徒会(Scuola Dalmata delli Santi Giorgio e Triffon)

2006年10月18日


7.
ヴェネツィアの夕刻


リアルト橋の上から眺める夕方のヴェネツィア。
とても風情がありますよ。

2006年10月18日


8.
ヴェネツィアの犬


船の上、玄関先の石の上いずれもバランスよく乗っているのは、
猫ではなく犬でした。

2006年10月19日



9.ヴェネツィアのゲットー

ヴェネツィアのゲットーで潜入調査を行いました。
ヴェニスの商人

見所:シナゴーグ、博物館

2006年10月19日


10.ヴェネツィア観光

観光客らしく、ヴェネツィアを散策。
オペラの衣装を間近で見ることが出来ました。

見所:サンタ・マリア・デイ・ミラコリ教会
   サンティッシマ・ジョヴァンニ・エ・パオロ大聖堂

2006年10月19日


11.ヴェネツィアの先生

私がかつてイタリア語を習っていた先生との再会。
私達の会話の内容は、ヴェネツィアを旅する人の参考になるかもしれません。

見所:サンタ・マリア・デッラ・サルーテ教会

2006年11月19日



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溜息の橋
溜息の端(Ponte dei Sospiri)

ドゥカーレ宮殿の裁判所と牢獄を結ぶ橋
この橋を渡ると二度と戻れないと言われたことから囚人達は溜息をついて渡ったということからこの名がついています。



男もすなる、日記といふものを、女もしてみむとて、するなり・・・

こんな書き出しで日記を綴ったのは、彼の紀貫之です。
平安当時、男は漢文で書くことが常とされていたなかで、
女性が使う文字であった平仮名を使い、語り手を女性に見立てて
著された日本で最初の文学作品です。

彼の旅は約2ヶ月、私の旅は約3ヶ月。
でも、昔の旅人の方が遥かに険しい道程を歩いていたのでしょうね。

最近更新が週一で定着しかけていますので、日に日に細かい記憶が曖昧になってます。
だから筆が進まないという言い訳は、いけませんね。(^^;)

では、前回の続き
パドヴァのホテルで泊ったところからです。
宿は朝食なし、外バストイレでしたが比較的綺麗でした。

パドヴァのホテル
パドヴァのホテル
パドヴァのホテル
部屋にセーフティーボックスが設置されてました。
私が泊まるような安い宿ではあまり見かけないので、撮ってしまいました。

日は変わって翌朝のパドヴァです。

パドヴァ市内
パドヴァ市内
街のところどころにはフレスコ画があります。

パドヴァ市内
小学校へ向かう親子。
微笑ましくも見えますが、これにはイタリアの事情も有ります。

そんな朝の散歩で、小さなパン屋をみかけたのですが、(写真は無いです)
仕事前の人が焼きたてのパンを買って、その場で食べてるのが
ちょっと美味しそうでした。
もちろん飲み物も一緒です。
でも、なぜか入りませんでした。
お腹少しくらいは減ってたはずなのに、自分でも不思議です。

パドヴァ大聖堂
パドヴァ大聖堂内部
パドヴァ大聖堂内部2
パドヴァ大聖堂内部3
電車の出発まで時間があったので、例によって教会で絵画鑑賞です。
ここがパドヴァのDuomoだったと思います。


そして、次に私が向かうのはここです。
ここ
この写真、雰囲気で分かるかな?
過去のイタリア逃亡計画とかここのリンク見ないで当てて下さいね。
商品は出ないですけど。
ヴェネツィアの街角




パドヴァの宿泊(Venere.Com)

使い方はこちらを参照して下さい。




2006年10月18日 パドヴァ 5


今何位?






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パドヴァのサンタントニオ(Sant'Antonio)はポルトガル出身(1195年-1231年)の人物です。

サンタントニオ氏が聖人と呼ばれるのは、数多くの奇跡を起こしたからで、

切断された足をくっつけたり、死んだ人を蘇らせたりしたのだそうです。

さて、そんなサンタントニオですが、その人生は短くわずか36年、

当時の人は大いに落胆したんじゃないかと思います。。

もう奇跡を起こしてくれるアントニオは居ないんだと。

しかし彼の奇跡は、その死後も続いたのです。

目が見えない人が目が見えるようになったとか、

歩けなかった人が歩けるようになったことがあったというのです。




そんなこともあって、現在もサンタントニオの奇跡にあやかろうと

サンタントニオ大聖堂(Basilica di Sant'Antonio)訪れる人は多いのです。

パドヴァ1
サンタントニオ大聖堂遠景
パドヴァ2
上の写真のちょっと色違い。(あんまり変わりないですね。)


sant’antonio
サンタントニオ
サンタントニオ大聖堂正面(斜めですけど)



サンタントニオ_中庭
sant’antonio2
サンタントニオ_中庭2
教会中庭より

サンタントニオ_中
教会内で写真は撮らないでねと言われた瞬間の1枚。
撮れてたらラッキーと思ってましたが、見事に失敗ですね。

残念ながら堂内は撮影禁止なので、中の映像はありません。(↑こんなんくらいです)

内部の画像は教会のHPでご覧下さい。
教会のHP

ヴァーチャルツアー

教会の見取り図の見たい場所をクリックするか、
その下の名前で見たい場所をクリックします。

小さい写真表示されるので、その下の
PER SAPERNE DI PIU'(もう少し詳しい情報)
TORNA ALLA MAPPA(地図に戻る)をクリックして下さい。


行方不明の人、紛失物を捜すときサンタントニオにお祈りすると見つかったりするようですよ。


サンタントニオが祀られたCappella di sant'Antonioは
軌跡の壁(お墓)と呼ばれ、

壁に手を当てお祈りする人の列が絶えません。

私も旅の無事やらいろんなことをお願いしておきました。

何だかんだで時間も過ぎて、そろそろ宿を押さえないとなーという時間になってきました。

幸いサンタントニオ大聖堂にはインフォメーションがあったので、ラッキーと思って

ホテルの予約をしに中へ入りました。

「ホテルの予約したいんですけど。」

「ここでは、出来ないのよ。」

「えっ!」

「ホテルの予約は、街の中心部に有るインフォメーションじゃないとやってないのよ。」

「そうですか。ありがとう。」

あ?、また大学の近くまで戻らなきゃ。

時間は18時、インフォメーションが閉まるまでに間に合うか?!

私は急いで街の中心部へ歩きました。

途中で道を間違えたこともあり、インフォメーションに着いたのは18時30分くらいでした。

運よくインフォメーションが開いていたので透かさず、ホテルの予約。

もう疲れてたので、インフォメーションから比較的近くて、経済的な宿をお願いしました。

予約してもらった宿は、3星でバストイレ外、朝食無しで42ユーロ。

疲れて眠かったので、シャワーを浴びてすぐにお休みなさい。

食い気より眠気です。

美味しいもの食べられなかったのは、残念だなーというパドヴァの1日でした。




おまけ

sant’antonio3
教会側面より。
重機が入っちゃいました。(><)

sant’antonio5
気を取り直して、別アングルからもう1枚。

sant’antonio4
右端に写っているのはドナテッロ作ガッタメラータ像。
帰り際に思い出して撮りました。




2006年10月17日 パドヴァ 4









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