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イタリアマニアの気になることは?(Italia Mani@ravel)

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イタリア旅行マニアのイタリア旅行記。 ミラノ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ローマ、それだけがイタリアではありません。

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プロフィール

Author:らふぁえろ
イタリア渡航暦
1999年12月
2000年春、冬
2003年冬
2004年春、冬
2006年は9月27〜12月25日
2007年10月10〜11月06日

イタリア各地を旅をして、街歩きを楽しみ、
絵画・彫刻を鑑賞していたら、
教会オタク(?)のようになってきました。(@_@;)
HNはらふぁえろ、でも絵は・・・描いてません。

イタリアの食べ物、ワインには地域性が大きいことを
旅する毎に実感しています。
飲んだ暮れ、食い倒れに勤しんでおります。(胃腸は弱いですが)

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神曲

ダンテ 神曲 フィレンツェ

ダンテの生い立ち

Dante Alighieri (1256-1321)
1256年5月Firenzeで生まれる。
1283年ベアトリーチェと出会う。(神曲にも出てきます)
1287年サンタ・クローチェ修道院の修練士となる。
1289年あのアレッツォを盟主とするベギリーニ党軍の戦争にフィレンツェ軍騎兵隊として参加。
1289年ベアトリーチェが死去し、精神的危機に。
1295年モネット・ドーナッティの息女ジェンマと結婚。
1300年Firenzeの政治家となる。
1301年百人委員会の一員となる。
ローマ教皇庁のFirenze威嚇(教皇と親しかったフランスのシャルル・ドゥ・ヴァロアの軍隊が南下)との噂を受け、ダンテ他3名が使節としてローマへ赴が、(方針を撤回させるため)ダンテのみが留め置かれる。
フランス軍は入城し、ダンテの反対勢力の政党がこれに乗じて政庁を占領。
1302年まだローマに留まっていたダンテはFirenzeの政敵より政治犯として指定される。
1304年Firenzeを亡命、ベローナの領主の下に身を寄せる。
1307年神曲の執筆を始める。(1320年まで執筆は続く)
    その後ルッカ、リグリア海岸、ガルダ、ヴェネト地方と放浪。
1310年ルクセンブルク王ハインリッヒ7世が南下した時には、イタリア統一を心に抱き諸侯に呼びかける。(「帝政論」を書いて一般にも自らの意思を示す)
1312年ハインリッヒ7世ローマ皇帝へ。
1313年ハインリッヒ7世暗殺により、ダンテの夢も消える。
1315年Firenzeはダンテの罪を解いたがダンテは帰国せず。
1317年Ravennaの領主招かれこの地に。
1319年「牧歌」を著す。
1320年「水陸論」を著す。
1321年Ravennaの使節としてVeneziaとの紛争を解決するが、Veneziaからの帰路マラリアに感染し、同日Ravennaにて死亡、サン・フランチェスコ教会に埋葬される。

ダンテの死後Firenzeは遺骨の返還を要請しましたが、Ravennaは拒否し続けたそうです。



神曲:原題は「 LA DIVINA COMMEDIA 」。
その昔、何を思ったものかふと読みたくなって読んだ本です。(理解が進まず、読み切るのに時間がかかりました。)

簡単に言うと、この神曲は3部から成っていて
「地獄篇」、「浄罪篇」、「天堂篇」に分かれています。
ダンテがヴィルジリオ(ローマの有名詩人、紀元前70-19年)の案内で地獄を旅し、その後浄罪山(この山を登ると罪が清められる)を登り、やがて天堂界に至るという物語。(簡単すぎる解説です。)

ダンテは詩人であり、政治家であり、霊能者でもあった異色の人物。
この物語にも、そんな彼の人となりが出ているんじゃないでしょうか。



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